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自律神経失調症・うつ・パニック障害は整体で改善します

毒おばあちゃんと過ごした日々が教えてくれたこと

 
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自律神経失調症やパニック障害、うつ病の専門家。 心臓が飛び出そうなほどの動悸のクライアントをその場で改善させるなど高度なテクニックを駆使した整体方法を確立している。不眠症の人さえも整体中は眠ってしまうほどに、心地よくソフトな整体技術。ひどいうつ症状を何十年も患ったクライアントを数ヶ月で改善させ、 社会復帰させる実績が多数あり。
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暑い日が続いきますね。整体院おかべは朝からクーラーをかけています。暑い中でも通ってくださる方がいることに感謝しています。来てくださるすべての方が幸せを感じるように整体をしていきます。

さて、今日は私のセラピーに付き合ってください。私は母親と幼いころから折り合いが悪く関係に苦しんできました。今も時々心の傷がうずき辛くなったりします。もう10年以上も心理学を学び、セルフカウンセリングやアファメーションをしてきました。かなり気持ちが楽になってきましたが、今日ここで祖母のことを書くことでもっともっと自分の気持ちに気づきたいし、書いてしまうことで客観性をもって子供時代を見つめることができるのではないかと思い、パソコンに向かっています。

 

今思えば毒祖母だったのですが、私にとっては良い祖母の部分もありました。もう天国へ旅立ったけれどお墓の場所もわかりません。こんな関係になってしまったのは異常な人間関係や祖母と祖母を取り巻く人間たちの心が通じ合わなかったからなのです。私はそんな大人の人間関係をつぶさに感じ取るような繊細な子供でした。切れやすい大人の怒号にびくびくして育ちました。

近所から植木鉢を盗み、スーパーの万引きの常習犯だった祖母

文字にするとなんだかびっくりしてしまう自分がいますが、父方の祖母はよく盗みをする人でした。私たちは同居していました。祖母に盗みをされたという人が怒り狂って父と母の営んでいるお店に怒鳴り込んできたこともあるそうです。私がこの事実を知るまでやさしいおばあちゃんだと思っていました。幼い5歳ぐらいだった私は、ある日二階になかなか起きてこない祖母を起こしに行きました。布団に入って上を向いて寝ている祖母。何度ゆすっても起きません。母に「おばあちゃん、起きないよ」と伝えて母が二階に来ると大騒ぎになったのを覚えています。

 

万引きを父親にとがめられ自殺未遂を数回したおばあちゃん

うつ 薬

そうこうしているうちに救急車が到着し、祖母は運ばれていきました。幼くてよく理解できなかったけれど、きっとおばあちゃんは病気か何かで運ばれてしまったんだと思いました。そしてこんなことが複数回起こった記憶があります。いつだったのか忘れてしまいましたが、母親があの時、祖母は睡眠薬で自殺を図ったため起きられなかったのだと私に伝えてきました。万引きをして何度もお店の人に捕まっては、私の母が迎えに行く。そして祖母の息子である父親に怒られるということを繰り返していたそうです。

そして父が怒ってとがめた日に限って睡眠薬を大量に飲むのだそうです。でも死には至らないので、感情的になって飲んだのか困らせてやろうとして飲んだのだろうと思うのです。

商売が繁盛すればするほどトラブルを起こす祖母

祖母は結婚をしたことがありません。地方のある有力者(多分これも嘘)の愛人になり父親や兄弟を生んだらしいのです。父は小学校のころ、一人で暮らしていたそうです。生活が困窮していて遠足のお弁当がないので遠足に行かずにいるとお友達が迎えに来てくれてみんなでご飯を分けてくれた話を聞いたことがありました。

 

苦労をして東京に出てきて母と結婚しお店を構えて繁盛店にしたのですが、必ず祖母がトラブルを起こしていました。私が生まれてすぐに私の母とけんかをし、その日のうちに赤ん坊(私)を連れて出ていけと言ったり、隣近所とトラブルを起こしたり、相変わらず盗みをしたり。父も母も感情的だったのも災いしていつも家がピリピリしていたのを幼い私は感じていました。もしかして感情的ではなかったのだけど、忙しい中トラブルを祖母が起こすので変わっていったのかも?と書きながら思いました。

 

いつも母は私に怒っていたし、父も怒っていた。母はがむしゃらに働いて家事をした後、すぐに夜遊びに行っていました。その度が過ぎて、父が母に怒る。そして夜中に何か話し合っている。幼い私はいつもいつもおびえていた記憶があります。二人の話し合いを扉の隙間から夜中に覗いていました。ドキドキしながら。とにかくいつも怒っている人たちが怖かったのです。

過去の心の傷に触れるようで体が反応してきた

肩こり 自律神経失調症

これを書いていると当時を思い出し、体が反応しています。右肩が痛くて重くなってきました。のどの奥が詰まるほどに筋肉が固くなり苦しさを感じてきました。でももういい加減に祖母との記憶を手放したいから書かせてほしいと自分に他の込みながら書きました。

 

今これを書きながら思うのは、もしかして祖母はかなりのカマッテちゃんだったのかもしれないと言うこと。おそらく母に嫉妬していたのかもしれません。優しかった?息子がとられたような気持ち?本当のところは誰にもわからないけれど、お店が忙しくなり、父母がともに頑張れば頑張るほど寂しくなったのかもしれない。

 

また、自分はあんまり良い少女時代ではなかった気もしています。でも今は幸せだからそんなこと書かなくてもよいじゃない?などと葛藤しながらキーボードをたたいています。穏やかな人が皆無の家で頑張ってきたんだなあって自分を癒してあげたい気持ちが浮かんだり、母親も父親も大変だったからイライラしていたんだなと妙に納得したりして。過去に向き合っていろんな感情が噴出してきました。自分の小さな傷が浮き上がって存在を知らせてくれているのですね。

数十年後、祖母が事故で死んだという知らせが来た

とても長くなるので割愛しますが、私が小学校高学年の時に大きなトラブルがあり祖母とは離れて暮らすことになりました。苦しかった祖母との確執はその後数年続きます。私が中学生になっても家に乗り込んできて大暴れして悪態をついて帰っていったり、父を裁判で訴えたり。皮肉なことにその都度私たち家族は団結していきました。そして私が成人したぐらいの時でしょうか?祖母が亡くなったという知らせを受け取ったのです。

 

交通事故で亡くなったという旨だったらしいのですが、それも信ぴょう性に欠けるのです。祖母の周囲にいる人間も嘘が多く信用できないし、再び会うとまたトラブルに巻き込まれるのがとても苦しいので死の真相やお墓の場所などもわからないままです。

 

でも私はそれでよいと思っています。心の中で感謝の気持ちを伝えていれば十分です。わざわざ連絡を取りたくない人間に近づいていき傷つくことはないのです。いろいろなトラブルを起こして最後まで迷惑をかけて悪態をついていった祖母のイメージもありますが、優しくて懸命に私にお菓子を食べさせてくれた姿も脳裏に焼き付いています。感謝もしています。極端なことしかできなかった祖母。寂しい祖母。もっと愛されてかわいがられたかったのでしょう。でも愛されたいなら、それ相応の態度をするべきだった。祖母を反面教師に私は生きていきます。

 

 

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自律神経失調症やパニック障害、うつ病の専門家。 心臓が飛び出そうなほどの動悸のクライアントをその場で改善させるなど高度なテクニックを駆使した整体方法を確立している。不眠症の人さえも整体中は眠ってしまうほどに、心地よくソフトな整体技術。ひどいうつ症状を何十年も患ったクライアントを数ヶ月で改善させ、 社会復帰させる実績が多数あり。
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